2016年06月06日

舛添要一の『家族』〜嫁は創価学会?

maxresdefault.jpg
www.youtube.comより引用。

国際政治学者で、東京都知事の舛添要一さんが注目を集めています。

今回は、そんな舛添さんを育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

舛添要一さんのお父さんの名前は、舛添彌次郎(やじろう)さん。

舛添さんの実家は、江戸時代から続く庄屋の家系なのだそうです。

父・彌次郎さんは戦前、福岡県の鞍手で炭鉱を経営するなど、様々な事業を手がけていました。

昭和5年の若松市議会選挙に、立憲民政党陣営から立候補し、次点で落選したこともあります。

戦争が始まり、実家の商売は零落したものの、舛添さんの幼少時には青果店を軌道に乗せ、

家計は比較的裕福なものでした。

しかし、舛添さんが小学2年の時火災に遭い、これをきっかけにお父さんは病気となります。

そして、舛添さんが中学2年生の時、お父さんは帰らぬ人となりました。

大黒柱を失った家業も傾いてしまい、お父さんが亡くなって以後、

舛添さんは貧困の中で育ったそうです。

◆二番目の嫁は片山さつき議員!◆

舛添要一さんの二番目の奥さんは、これまた何と、現・自民党の片山さつき議員!

片山さんが大蔵省官僚時代、衆議院議員だった近藤鉄雄氏の紹介でお見合いし、

1986年に結婚しました。

しかし、結婚生活が「平穏」だったのは最初の数週間だけ。

女のくせに遅く帰ってきやがって!

大蔵省の激務を終えた片山さんが深夜に帰宅すると、こう言って舛添さんは激昂しました。

一旦怒り始めると、舛添さんは手当たり次第にモノを投げつけ、

ある時にはいくつものサバイバルナイフを片山さんの前に並べたこともあります。

結局、結婚から3か月ほどで、片山さんは弁護士に離婚を相談しました。

すると、弁護士の調査により、舛添さんには愛人がいて、

更に愛人が妊娠中であることも分かります。

1989年、舛添さんと片山さんの間で、離婚が成立しました。

◆三番目の嫁は創価学会?◆

舛添要一さんの三番目のお嫁さんは、舛添雅美さん。

1964年1月6日生まれなので、現在の年齢は52歳なので、舛添さんより16歳年下になります。

聖心女子大学文学部を卒業し、美術館の学芸員として働きながら、

東大助教授だった舛添さんの私設秘書を務めました。

その後、舛添さんは大学を辞めて独立しますが、舛添さんの猛アプローチもあって、

雅美さんは独立事務所の手伝いをすることになります。

いつしか交際が始まり、7年の交際期間を経て、1996年に結婚しました。

ところで、現在のお嫁さんである雅美さんには、

創価学会の幹部であるという噂があります。

これは、都知事選で争った田母神俊雄さんの応援演説で、デヴィ夫人が暴露したもの。



posted by masa_senmon_999 at 23:32 | Comment(0) | 舛添要一,子ども,学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。